WINEP

-植物鉄栄養研究会-


NPO法人
19生都営法特第463号
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長谷川和久君を語ることは小生を語ること

Date: 2025-03-02 (Sun)

昨年「winepブログ」で「長谷川君の逝去」については、述べておいた。

  その際、彼の業績などについては、後日紹介すると述べておいた。そこで今回は長谷川君の様々な分野の業績を紹介しながら、長谷川君と小生との関係の変遷について述べたい。いささか長文の随筆風の文章になりますが、記録として残しておきます。


  長谷川和久君が東大農学部の植物栄養肥料学研究室(三井進午教授、熊澤喜久雄助教授)に、東京農工大の修士課程を卒業して研究生としてきたのは、学園闘争が始まる前の1968年ごろだったと思う。小生は修士課程卒業直後にこの研究室の助手になって2年目だった。

  当時は他大学から東大の博士課程を受験するには、三井研究室では、教授と面接をしてから、実力が水準に達していない場合は、まず1年間研究生をやってから、研究室のゼミに参加して実力をつけて、研究室の雰囲気に馴染んでから、受験に合格するというコースをたどっていた。

  そういうわけで彼は当初は研究生として在籍していた。そのうち、指導教官である熊澤助教授がウイーンのIAEA(国際原子力機構)に留学していなくなった。東大では学園闘争が始まって、三井進午教授が研究室に出てこなくなった。長谷川君は指導者を失って路頭に迷ったと思う。

  研究室の半分が全共闘系、原理系、民青系と思想的にカオスになって、長谷川君自身も全共闘派に巻き込まれていった。彼は勢い付いて、4枚張りのベニア板の看板を作成して、農学部正門前に高々と立てて、学生や教員を驚かせていたこともあった。実に正義感にあふれて元気そのものだった。

  2年間のIAEA留学期間を終えて熊澤先生が帰還して、長谷川君は(のちに紹介する)貝化石土壌のX線回折写真を撮ったりしていたのだが、いつの間にか大学から居なくなった。詳しい経過は小生にはおぼろげだが、諸般の事情で大学院博士課程には進めなくなったのだろう。

  それから数年は小生と長谷川君との連絡が絶えていた。あとになって聞くと、その間は、父親が富山県の農業大学校の校長をやっていた関係からか、石川県農業短期大学(当時の名前)の助手として就職していた。確か青木教授の部屋だったと思う。そこでは粒状複合肥料の研究を行っていた。

  またその間に富山と石川の県境の山脈で採掘される貝化石土壌の有効利用に着手している。それまでは貴重な資源である貝化石土壌は道路の舗装や土壌の改良資材としてしか利用されていなかったのだが、これを肥料として有効利用しようと考えて、社会実装に着手したようである。1972年から1982年にかけて、集中的に論文が出ている。(以下新しい順に文献紹介している)
 
〇粒状複合肥料中の窒素およびリン酸成分の土壌中での溶解: 北陸地域における複合肥料の施肥法改良に関する研究 (第 2 報)
長谷川和久 - 日本土壌肥料学雑誌, 53,1982

〇粒状複合肥料の粒径組成, 硬度および比重: 北陸地域における複合肥料の施肥法改良に関する研究 (第 1 報)
長谷川和久 - 日本土壌肥料学雑誌, 53,1982

〇野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響: 第一報, トマトのビタミン C, 糖および有機酸について栽培農家での事例 (6. 植物の代謝および代謝成分)
吉田 企世子, 森 敏, 西沢 直子, 長谷川 和久, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 27, 1981 –

〇複合肥料に関する研究 (第 3 報): 粒状複合肥料粒子からの窒素, 燐酸, 加里の溶出
長谷川和久 - 石川県農業短期大学研究報告, 3,1974 –

〇粒状複合肥料中の窒素, リン酸, 加里の土壌中での拡散移動 (2)(中部支部第 28 回例会)
長谷川和久 - 日本土壌肥料学会講演要旨集 20, 1974 –

〇粒状化成肥料の粒径分布と溶解性について (I): 複合肥料に関する研究 (第 3 報)(肥料および施肥法)
長谷川和久 - 日本土壌肥料学会講演要旨集 20, 1974 -

〇砂丘地畑作における肥効増進に関する研究第 3 報: 砂丘地土壌における作物の蒸散と施肥養分の利用について
長谷川和久 - 砂丘研究20,1974

〇養分と植物 (III): わら還元の重要性…… 石川の米作りの課題
長谷川和久 石川農業の研究3,1974

〇砂丘地畑作における肥効増進に関する研究第 2 報: 肥料成分キャリヤーとしてのけいそう土の砂丘地土壌への導入について その 2
長谷川和久 砂丘研究20,1974 -

〇砂丘地畑作における肥効増進に関する研究第 1 報: 肥料成分キャリヤーとしてのけいそう土の砂丘地土壌への導入について その 1
長谷川和久 砂丘研究20,1974

〇複合肥料に 関 する研 究(第 ユ報) 石川農短大 研報,1,(1972)
長谷川和久

〇粒状複合肥料中窒素, 燐酸, 加里の土壌中での拡散移動 (II): 複合肥料に関する研究 (第 2 報)
長谷川和久 - 石川県農業短期大学研究報告, 1973

〇粒状複合肥料中窒素, 燐酸, 加里の土壌中での拡散移動 (I): 複合肥料に関する研究 (第 1 報)
長谷川和久 - 石川県農業短期大学研究報告, 1972


  小生は1968年に勃発した学園闘争の前は、「植物ホルモン研究」、「催涙ガス研究」、ベトナム戦争で問題になった「ダイオキシン研究」などをやっていた。そのうちに、日本の農水省が進める化学肥料・農薬主体の日本の農業技術体系に大いに疑問を抱いた。

  そこで1971年に一楽照雄氏らによって設立された日本有機農業研究会を通じて、日本各地の有機農業農家を訪問した。そこで自分の当面の研究テーマを、「植物による有機物吸収のメカニズム」に絞り込んだ。

  イネやオオムギを卒論の学生たちや技官の内野弘さんや尾林助好さんの協力で毎年圃場の開放系のガラス質で水耕栽培を行い、生育収量調査や電子顕微鏡による根の微細構造観察を行った(後者は岸(西澤)直子さんとの共同研究であった)。それはその後約15年続いた。


  そんな時に、熊澤教授のもとに女子栄養大学から吉田企世子准教授が有機肥料と無機肥料で栽培された農産物の食品としての質の違いの研究をしたいといって内地留学してきた。ゆくゆくは博士論文取得が目的でもあった。吉田先生は小生より数歳年上であった。彼女の研究課題はトマトを中心に、電子顕微鏡を用いた形態学研究を主眼にすることになった。

  電子顕微鏡技術は西澤さんが特訓し、農産物の栽培を大学の圃場と、農家の現場の圃場で行い、栄養成分などの鮮度の研究は女子栄養大学の研究室で行った。

  そこで、現場の農家に有機質肥料(油粕+骨粉)と無機肥料(NPKの化成肥料主体)の施肥区をもうけた石川県在住のハウス栽培農家を長谷川君に見つけてもらった。吉田先生はそこに通って、トマトを収穫して冷蔵便で発送し、女子栄養大学でビタミンCやβ―カロチンや、テクスチュロメーターでテクスチャーなどを測定し、東大では電子顕微鏡用の切片つくりに真剣に励んだのである。

  その研究は5年間続き、吉田先生は以下のように多数の論文発表を行った。この発表には長谷川君の名前がすべて共著者として載っている。彼を通した石川県現地農家での協力がなければとうてい遂行でき得ない研究であったからでもある。(以下新しい順番に文献紹介している)


〇有機質肥料施肥露地トマトの生育と畝内養分の垂直分布: 野菜の品質におよぼす有機質肥料の影響 (10)(10. 肥料および施肥法)
長谷川 和久, 吉田 企世子, 森 敏, 熊沢 喜久雄 日本土壌肥料学会講演要旨33, 1987

〇トマト果実の微細構造について: 野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響 (9)(6. 植物の代謝および代謝成分)
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 32, 1986

〇トマト果実の物性に関連する化学成分について: 野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響 (8)(6. 植物の代謝および代謝成分)
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 31, 1985 -

〇水稲箱苗の生育に及ぼす各種窒素質肥料の影響: 北陸地域における粒状複合肥料の施肥法改良に関する研究 (第 3 報)
長谷川和久 - 日本土壌肥料学雑誌, 1984 -

〇施肥法を異にしたトマト果実の後熟性をセンサーガスクロマトグラフによって比較した事例
長谷川和久, 森敏, 吉田企世子, 熊沢喜久雄 - 日本土壌肥料学雑誌, 55,1984

〇肥料の違いによる栽培トマトの還元糖, 有機酸およびビタミン C 含量
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 日本栄養・食糧学会 37,1984 -

〇肥料の違いによる栽培トマトの物性
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 日本栄養・食糧学会 37,1984

〇有機質肥料を施した水田転換露地トマト栽培畑現地の特徴: 野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響 (8), 複合肥料に関する研究 (第 14 報)(10. 肥料および施肥法)
長谷川 和久, 森 敏, 吉田 企世子, 熊沢 喜久雄 日本土壌肥料学会講演要旨 …,30, 1984 –

〇肥料の違いによる栽培トマトの食味
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 日本栄養・食糧学会 37,1984

〇トマト果実の果房毎のイオン含量の変化について: 野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響 (7)(6. 植物の代謝および代謝成分)
森 敏, 吉田 企世子, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 30, 1984

〇トマト果実の追熟過程におけるアミノ酸含量の変動: 野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響 (6)(6. 植物の代謝および代謝成分)
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 30, 1984

〇トマトの Xylem sap の組成について: 野菜の品質におよぼす有機質肥料の影響 (4)(6. 植物の代謝および代謝成分)
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 葭田 隆治, 河合 成直, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 29, 1983

〇野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響:(第五報) センサー・ガスクロを用いたトマト果実のエチレン発生量の測定について (6. 植物の代謝および代謝成分)
長谷川 和久, 森 敏, 吉田 企世子, 熊沢 喜久雄 日本土壌肥料学会講演要旨 29, 1983

〇トマト果実の追熟に及ぼす影響: 野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響 (3)(6. 植物の代謝および代謝成分)
吉田 企世子, 森 敏, 長谷川 和久, 西沢 直子, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 29, 1983

〇野菜の品質に及ぼす有機質肥料の影響: 第二報 トマト果実のテクスチャーについて (合同部会 窒素の吸収・代謝)(6. 植物の代謝および代謝成分)
吉田 企世子, 森 敏, 西沢 直子, 長谷川 和久, 熊沢 喜久雄 肥料学会講演要旨集 28, 1982

  吉田先生はめでたく東京大学で論文博士を授与され、女子栄養大学教授に昇格された。博士論文祝賀会は椿山荘で行われ、小生も5分間スピーチで参加者を笑わせた記憶がある。

  吉田先生はそれからしばらくして、博士論文を中心にした以下の本を出版されている。

〇野菜の成分とその変動-土壌環境からのアプローチ-, 吉田企世子・森 敏・長谷川和久 編著, 学文社 (東京), 2005 年 9 月 10 日発行


  一方、西澤さんと小生は大学の圃場で有機物吸収研究をするうちに、イネやオオムギがアミノ酸類はもとより、ヘモグロビン、アルブミン、RNA、DNAなどの高分子をもよく吸収すること。またその吸収のメカニズムとして植物細胞によるendocytosis のメカニズムがあることを世界で初めて証明したのであった。

  西澤さんは、後日『栄養ストレスと植物根の超微細構造に関する研究』(1992年)というタイトルで、日本土壌肥料学会賞を受賞している。

  小生らの、この植物による有機物吸収関連の口頭発表やポスター発表や論文や総説は約50報に上るが、煩雑になるのでここでは省略する。ちなみに小生の博士論文のタイトルは『植物の無機栄養説批判』(1979)である。

  その後、農水省は
『有機農業の推進に関する法律(平成18年 法律第 112 号)』
を制定した。

  この法律の制定にはもちろん有機農業研究会の運動による圧力が大きかったのだが、その学問的裏づけとして、我々の有機物吸収や食品の質に及ぼす有機物の影響に関する研究も寄与したのではないかと今でも思っている。


  そういう有機物吸収の研究をするうちに、岩手大学の高城成一先生がムギネ酸を発見した(1976年)という快挙があった。発見自体はそれよりも10年以上前の東北大学での仕事であったが、SSPN(日本土壌肥料学会欧文誌)の論文になったのがこの年であったのだった。

  ムギネ酸は鉄欠乏で根圏に積極的に放出される。しかもイネは必須元素の鉄を、鉄キレーター化合物(ムギネ酸鉄)としてしか吸収しないかもしれない(今日では、二価鉄イオンがあればIRT1で吸収されることもわかっている)。

  小生はこの発見を、「これは無機栄養説(植物は必須元素を無機化合物として根から吸収する)を根底から覆す発見だ」と思ったのである。不良土壌環境条件で植物が種々の有機化合物を根から放出して根圏を能動的に健全化するという、植物根の多面的機能に目が覚め始めたのである。今日では、高城先生のムギネ酸の発見は世界の植物栄養学に「パラダイムシフト」を興したといっても過言ではないだろう。

  そこで小生は研究課題を「ムギネ酸の生合成経路」、「ムギネ酸の根圏への排出機構」、「ムギネ酸鉄の根からの吸収機構」などの解明に完全に切り替えたのである。(その後に今日まで続く小生らの、この関連の口頭発表やポスター発表や論文は約2500報に上るが、煩雑になるのでここでは省略する)。

  ただし直近では、このWINEPホームページでも紹介したばかりだが、小林高範・西澤直子による以下の総説がある。

Structural determination of mugineic acid, an iron(III)-chelating substance secreted from graminaceous plants for efficient iron uptake. Proc. Jpn. Acad., Ser. B 101 (2025)
https://doi.org/10.2183/pjab.101.007


  さて、長谷川君の案内で、吉田先生のトマト栽培農家ばかりでなく、石川県と富山県各地の現地農業の視察などを何回となくさせていただいていた。そのうちに、長谷川君が小矢部市の日本海鉱業の(故)山田晧也社長と昵懇(じっこん)であることを知った。山田社長はアルカリ土壌である貝化石鉱山の所有者であった。

  小生はムギネ酸研究の当初からアルカリ土壌の鉄欠乏解消のための効果的鉄系肥料の開発も並行して研究のテーマとして設定していた。その研究のためには実験材料として大量のアルカリ土壌の入手が必須であった。

  そこで、当初は、インドから留学してきていたProf.Kalyan Sing教授を介して、わざわざインドからアルカリ土壌を1kgばかり送ってもらった。これには横浜港での検疫による手続きと検査が大変煩雑であった。また、秩父の武甲山の石灰岩を山元の鉱山会社(秩父セメント)の許可を得て、雨の中を中西君と一緒に2トンのライトバンで土掘りに行ったりしていた。

  それらの土壌で、韓国からの修士課程の留学生である金秀蓮さんにポット試験をしてもらったのだが、これらの砂礫土壌はイネやムギの鉄欠乏症の発生には適切ではないことが分かった。10リットル容積のポットを50個も用いた実にハードな実験だったのだが。

  そういうわけで、諸外国では広大なアルカリ土壌があるのだが、日本では適当な土壌が探せなかった。また実験圃場に使うべき広大な露地栽培土壌の存在に気がつかなかったのである。しかし、山田社長の協力で、この関連の実験が貝化石鉱山の土壌でできるようになったのである。

  小生はEDTA鉄を主成分とする被覆肥料開発のための研究費を科学研究費から獲得した{東北大学の庄子貞雄教授、窒素の藤田利夫さん(日本で最初のプラスチックコーテイング肥料の開発者)、長谷川和久君等との共同研究}。

  そこで、かの水俣病で有名になった「窒素(株)」に製造を依頼して、1トンの被覆鉄肥料を製造してもらった。この肥料を用いて、この山田さんの貝化石鉱山での実験を実験計画法に従って区画化して、3年間にわたって行った。

  圃場の整備や、植物種子の播種や、栽培管理や、収穫物の測定などは、石川県立大の長谷川研究室の秘書や学生たち、東大の西澤研究室の学生達で行った。学生たちは、農作業のあとでの食事会や宿での観光に大いに楽しんだ。貝化石鉱山での晴れの日の初夏の鶯の声には都会にはない静寂で、のどかな雰囲気を味わったことだと思う。

  しかしこの鉱山での実験は長谷川君が毎日通う管理方式ではなかったので、台風が来たり、豪雨に見舞われたりして、散々な目に遭った。Fe・EDTA被覆肥料の効果があることは確実にわかったのだが、論文にするにはあまりにも自然による攪乱要因が大きすぎたのである。

  以上と並行して、小生や西澤さんがCREST「戦略的基礎研究」の研究費を科学技術庁(JST)からいただいたので、ムギネ酸生合成経路の遺伝子を強化した数種類のイネをアルカリ土壌の圃場で検定する企画をした。

  そこで、この実験を東北大学の川渡農場の「遺伝子組み換え圃場」で、三枝正彦教授と共同研究させてもらった。その時小生は20トントラック10台で合計200トンの貝化石土壌をこの圃場に導入させていただいた。山田社長はびっくりしていたが、富山の貝化石鉱山から宮城県川渡までの運搬を快く引き受けてくれたのであった。詳細は省くが、この大胆な実験は大成功であった。

  恒常的な圃場の管理や生育調査は、東北大学のポスドクの森川クラウジオ賢治君と東大の博士課程の鈴木基史が行った。すべての基本は長谷川君のおかげであった。圃場整備作業をしながら小生は腰痛で倒れて、数時間仰向けになって、鶯の鳴き声を聞きながら鶯と戯れていたことも懐かしい思い出である。田植えや収穫期には西澤研究室全員が現地に駆り出されたのだが、川渡温泉や鳴子温泉での宿泊では学生たちは楽しい思いをしたと思う。

  一方で、長谷川君は愛知製鋼から研究費を提供されて、自宅の水田にこの貝化石土壌を大量に持ち込んで、その上にビニールハウスを3棟建てて、アルカリ土壌条件下での種々の作物の生育改善のための試行錯誤実験を行っていた。この土壌ではイネやムギでは見事なクロロシスが発生するので、それを修復するために、いろいろな有機物資材を投入する実験をしていた。

  この間の研究は正式な論文にはならなかったのだが以下に口頭発表やポスター発表されている。(以下、新しい順に示している)

〇新しい鉄肥料 「鉄力あぐり」 等の効果 (3)(21. 緑化技術, 2007 年度東京大会)
長谷川 和久, 伊藤 志穂, 鍋嶋 きよみ, 平場 由美, 西澤 直子, 森 敏 肥料学会講演要旨集 53, 2007 -

〇アルカリ性土壌・沙漠地の緑化に対する新しい鉄資材 「鉄力あぐり」 などの効果 (21. 緑化技術, 2006 年度秋田大会講演要旨)
長谷川 和久, 伊藤 志穂, 鍋嶋 きよみ, 平場 由美, 西澤 直子, 森 敏 日本土壌肥料学会講演要旨 …52, 2006 -

〇被覆鉄系肥料の開発 (3)(中部支部講演会)
奥野 まゆみ, 森 敏, 中西 啓仁, 長谷川 和久- 日本土壌肥料学会講演要旨 …49, 2003 -

〇被覆鉄系肥料の開発 (2)(20. 肥料および施肥度)
森敏, 奥野まゆみ, 中西啓仁, 長谷川和久 - 日本土壌肥料学会講演要旨 …49, 2002 -

〇被覆鉄系肥料の開発 (1)(20. 肥料および施肥法)
森敏、中西啓仁,Singh Kalyan, 金秀蓮,立野朋子, 長谷川和久 -土壌肥料学会講演要旨集47, 2001 -

〇< 総説> 環境の保全と土壌の豊かさ維持
長谷川和久 - 石川県農業短期大学研究報告, 1998 -


  鉄欠乏土壌を用いた我々の研究を見ながら、長谷川君は、鉄栄養関連の研究と並行して、富山県や石川県の地域の地場の農業生産者や加工業者や販売業者との交流を通じて、土地、水、空気などの『環境保全型農業』という問題に大いに興味を抱き始めていた

  酸性雨の影響と大勢の観光客の積年の踏圧のせいで、金沢の名園である兼六園の松の先端部が枯れ始めていた。彼はその対策検討会の委員として、松の周りの柵を大幅に広げて、松の根が踏圧の影響が出ないように提案し実行されたと兼六園で彼から直接説明を受けた。

  また、詳細は省くが富山瓦や能登瓦の大量の廃材や、七尾湾の養殖カキの大量の貝殻の肥料としての有効利用を彼は業者に提案した。

 
 一方で、長谷川君自身がいつも自慢して強調していた国際貢献活動があった。それは、彼が中国政府から要請されて、3年間にわたって、中国内(うち)モンゴル地区の乾燥地土壌に通い詰めて、最終的には反当り600kg以上というイネの収穫量を挙げてみせたことであった。現在その地域は水田地帯なっているという(小生は確かめてはいないのだが)。その顕著な成果によって、彼は北京の人民大会堂で「英雄」表彰された。詳細は省くが、以下の著作をものしている。

〇環境保全型農業の理化学 / 長谷川 和久【著】養賢堂2009年

  また彼のこれまでの種々の功績に対して、以下の「土壌肥料学会技術賞」が授与されている。

〇地域資源を生かした実践的な生産環境維持技術の研究と啓蒙
長谷川和久 日本土壌肥料学会・技術賞 受賞 2006年
 
  
  日中友好促進は長谷川君の終生の課題だった。彼が鳥取大学の学生時代の恩師に遠山正瑛氏(京都大学出身。園芸学者。鳥取大学名誉教授)がおられて、長谷川君はこの遠山さんを深く尊敬していた。長谷川君は、将来はこのような人になりたいと常づね口にしていた。遠山先生は中国で広大な面積の植林に成功し、日本人で現在でも中国に銅像が建てられて「文化大革命」でも壊されていない人物は遠山先生だけだ、と言っていた。

  長谷川君は生涯にわたってまさにその遠山先生の精神を実践して来たのである。小生の記憶では、石川県立農業短期大学のころから中国の私費留学生たちの面倒を見ていた。お金のない留学生たちに、そっと下宿の玄関先に精米30kg袋を置いていたのを覚えている。(その後、留学生には何度か裏切られたこともあったようである。恩を仇で返すみたいな行為には少し残念そうではあった)。

  そういえば彼から毎年自分が栽培収穫した新米を10kg送ってきてくれていた。当初は無農薬化学肥料ではなかったが、ある時から、無農薬有機栽培米に切り替えたようだった。今あらためて思うと彼自身が体調に異変があったからなのかもしれない。このお米は格段の素晴らしい味がした。

  定年退職後は石川県立大のiBirdという産学連携施設に一室を構えて、日中友好協会や「―――――」を立ち上げて年に一度の大会を金沢市内のホテルで開催していた。そこに、富山県と石川県の篤農家や中小企業の方々の自由で活発な交流の場になっていた。事務局長は石川県立大学のみなみ准教授が担当していた。ここでは小生も2回ぐらい講演させていただいた。「植物の鉄栄養に関する研究」や「2011年福島での放射能汚染状況などの放射線像」などである。


  長谷川君は直近の10年間は、「農業および園芸」誌に以下のように随筆風の論考「敬土文化論」を毎年投稿し続けていた。この雑誌はレフェリーシップが機能しているかどうかわからなかったのだが、彼にとって編集部との付き合いが長く、受けが良くて書きやすかったのだろうと思う。小生の本郷の自宅に寄った時は、東大正門前の養賢堂までは自宅から300メートルもないので、いつも寄り道して顔を出していたようだった。

  長谷川君は「敬土文化論」を書き始めてからは、投稿前の原稿をしばしば小生のところに送ってきて、内容や誤字脱字のチェックを依頼してきた。ある時点から明らかに論考の文脈が乱れ始めたので「晩節を汚すなよ」と忠告したことがあった。少しずつ集中力に問題があるように見受けられてきたのである。

  今思えば、彼はこれらの半ば思想的論考を、来るべき彼自身の死を予感して、遺言状のつもりで書いていたのだ。全く気が付かなかったのだが、彼の体は少しずつがんに侵されていたのだった。杖を突いてもいざるようだったし、田んぼで心筋梗塞で倒れたりしていたので、そちらの方ばかりに気を取られていたのだった。(以下、「敬土文化論を」新しい順番に並べています)


〇敬土文化論 (14) 土・農環境と介護共生を歩む力
長谷川和久 - 農業および園芸97,2022 &#8211;

〇敬土文化論 (12): 根が伸びれば育つ. 土, 緑化, 農と人; 貝化石肥料の特徴, 出合栄吉父子らとの縁で
長谷川, 和久, 伊東, 志穂, 福山厚子 - 農業および園芸, 96, 2021 -

〇敬土文化論 (11) 土, 農の環境. 北陸散見.
長谷川和久 - 農業および園芸 96, 2019

〇敬土文化論 (10): 農学と地域産業, 文化を結ぶ糸の事例
長谷川和久, 林文慧 農業および園芸 94, 2019

〇敬土文化論 (9): 稲作・緑化と健康維持力
長谷川和久, 林文慧 -農業及び園芸 94, 2019

〇敬土文化論 (8): 農業教室や農家果菜園・屋内花菜園づくりの保健代替力
九澤京子, 伊東志穂, 長谷川和久 -農業および園芸93, 2018 -

〇敬土文化論 (続 7): 現場で作況と技能を省みる力
長谷川和久 農業及び園芸 93,2018

〇敬土文化論 (続 6): 農学から緑化へ 「実践する力」; 沙漠で米づくり, 日中の環境と人のつながり
長谷川和久 &#8211; 農業および園芸 92,2017

〇敬土文化論 (続 4): 日中の友好を支える力;「農」 と人にみる約 40 年 (例)
長谷川和久, 護群, 王玉 91,2016 農業及び園芸

〇私たちの “敬土文化論” 理解: 沙漠緑化の背景例 (長谷川和久 訳)
護群 農業および園芸 91,2016

〇敬土文化論 (続 3): 循環型農業体験公園の教育, 保健機能; 教わる力
長谷川和久 -農業及び園芸 90, 2015 -

〇敬土文化論 (続 2): 敬土愛農; 耕す力
長谷川和久, 伊東志穂, 栗本到磨  農業及び園芸 90, 2015

〇敬土文化論 (続 1) 土と汗, 信頼の結晶
長谷川和久, 福山厚子, 伊東志穂 - 農業および園芸 89, 2014

〇敬土文化論: 今は昔 耕土一寸米一石
長谷川和久 -89, 2014 - 農業および園芸

〇土が支える環境保全型農業: 安全な食料需給と地域の環境資源活用
長谷川和久 農業および園芸 86, 2011


  長谷川君との付き合いは、小生が東大の三井進午研究室の助手に採用された時以来だから、60年間以上になる。小生が「杉戸」や「東習志野」や「津田沼」や「本郷」に転居するたびに、わざわざ富山県のお土産を持って毎年訪れてきてくれた。彼を通じて実際の多くの農家さんたちと現場で交流できたことは本当に感謝に堪えない。小生の農業技術論がそれほどブレ無くて今日まで研究生活が全うできているのは、本当に彼のおかげである。 

合掌

(森敏)

付記:この随筆の一部は資料未確認の記憶で書いているところがありますので、各所に誤りがあると思います。いささか未校のまま入稿しております。気が付き次第、訂正していきますので、各位におかれましては、ご指摘いただければありがたく存じます。