鈴木梅太郎博士論文集 第一巻 植物生理の研究
鈴木梅太郎博士論文集について
終活に向けて、15年以上前に行った本箱の整理以来、現在第2回目の本箱の整理をしているのだが、最後まで残りそうな100冊あまりの本のうちの一つが、
鈴木梅太郎博士論文集 第一巻 植物生理の研究
である。この本をよく読むと、オリザニン(ビタミンB1)の発見者である鈴木梅太郎先生の研究が、肥料学や植物栄養学の必須栄養素の要素論的研究から発想されていたということを物語る本であることがよくわかる。
本の「奥付け」によると、初版の発行が昭和19年8月1日で、当時7000部も出版されている。この出版日は太平洋戦争敗戦一年前で、諸般の出版事情が最悪時であったであろうにもかかわらず出版されていることに驚きを禁じ得ない。今、小生の手元にあるこの本はいわゆる「硫酸紙」で、ページをめくるたびに剥落しそうな紙質の状態にある。
鈴木梅太郎博士論文集は、以下の全五巻が出版予定されていたようである。
第一巻 植物生理の研究 既刊
第二巻 蛋白化学の研究 近刊
第三巻 オリザニン(ビタミン)の研究
第四巻 栄養及び食品の研究(上)
第五巻 栄養及び食品の研究(下)
Googleで文献検索すると、第一巻と第二巻が今でも古本屋でも取引されている。当時8円50銭の本が現在1000円から3500円で売りに出されている。第一巻は477頁にわたる大著である。(写真参照)
しかし第三巻以降は古本屋に出回っていないようなので、これらは出版計画倒れであったと思われる。農芸化学科出自の鈴木梅太郎先生の多くの弟子たちは、昭和20年8月の終戦後は、劣悪な食糧難で、おなかをすかしていて大学の実験台で寝ていた(田村三郎先生のお話)ということなので、出版どころではなかったのかもしれない。
ちなみに鈴木梅太郎先生は昭和18年に文化勲章を授けられて、その年に70歳で逝去されている。この第一巻はその直後に発刊されて、先生の奥さんの鈴木須磨子(工学博士で建築家の辰野金吾の長女)が著作権者となっている。したがって出版は鈴木先生の逝去には間に合わなかったと思われる。
小生がこの本を手放し難く思っているのは、この本の403−416頁にわたって
「植物體中鐵の化合状態に就て」
という論考があるためである。
鈴木先生はなぜか当時の藍染めに使う二種類の藍(あい)に着目して、その種子と葉について無機成分分析を行っている。(表1、図2参照)
そして、これらの表から、
::::種子中には鐵の量最も多くして、灰分中12%の酸化第二鐵あり、鐵に改算して8%許となる。すなわち、乾燥物中酸化第二鐵として0.34%、鐵として0.24%許なりとす。葉に於いては其分やや少なくして、灰分中の3乃至4.8%、乾燥物中の0.14乃至0.21%なりとす。余は再三反復之を定量したるに、常に同一の結果を得たれば、たぶん分析上の誤差ありとするも尚その非常に多量なるべきを断言するに躊躇せざるなり。他の植物においても、葉中には稍多量の鐵を発見することあるも、種子中に斯く多量を含有するは曾て見ざる所なり。::::::
と藍染の鉄含量の異常値の発見に着目されている。(その後この研究がどうなったのかは不明であるが)
小生は上記の鈴木梅太郎先生の擬古文調の旧漢字体の文章を辞書を引き引き書きうつしながら、いささか感傷にふけった。
実は今となっては小生がこの本をどこで手に入れたのか全く記憶にない。神田の古本屋街からか? 三井進午先生の教授室の本棚から借りたままなのか? 熊澤喜久雄先生の教授室の本棚から借りたままなのか? 今では記憶の彼方なのである。
この本の終末には453頁から477頁にわたって、枝元長夫という鈴木梅太郎の若いときからの親友であるという人物が「鈴木博士小伝」という熱烈な伝記が記載されている。読んでいるうちに涙が出てきた。
(森敏)