同窓会余話(2)
先日東大農学部の「植物栄養肥料研」の同窓会があった。
午後6時からの懇親会の前に5時から卒業生による講演会があるというので、東大内の会場に4時半に行くと、すでに会場の入り口で、恩師の熊澤喜久雄先生が、藤原徹教授と丸テーブルを囲んで懇談されていた。驚いてあいさつをして、少し話をしたのだが、熊澤先生は御年94歳ということで、一人でご自宅の東武線の赤塚駅からご出席なはずなので、道中の安全を心から懸念した。「ゆっくり転ばないように気を付けて歩くので大丈夫だ」ということであった。
昔、農学部前のおでん屋「呑気」が地上げにあって、閉店するときには、店内にあった鍋・釜やたくさん壁に貼り付けてあった東大の諸先生方のサインが入った色紙などのいろいろな記念品は、東大史料編纂所所長であった先生のご長男さんが、回収して、東大のどこかに収蔵しているとのことであった。(南極探検隊長であった永田武教授はこの店の常連で彼の絵などもあったような記憶がある)。
小生が熊澤先生を独り占めしているとあとからくる後輩のあいさつの邪魔になるので、早々に講演会場に入って、研究室の後輩などと談笑しているうちに、5時になり、講演が始まった。確か一人目の演者のときには熊澤先生は最後部の座席にいらっしゃったと思ったのだが、講演が終わって、振り向いてみると、すでに先生の姿がなかった。
コロナ流行数年前ぐらいまでは、熊澤先生は弥生講堂などで講演会に律儀に出席されていたが、それからは途中でそっと退席することが多くなった。長く座っているとお尻が痛くなるんだそうであった。というわけで、今回お別れのご挨拶をするのを逸したのは悔やまれた。
実は今回小生も足のひざが故障しているので我慢して座っていたのだが、腰の方も坐骨神経が圧迫されて、脚がしびれそうになっていた。10年以上前の熊澤先生の境地がわかるようになったわけである。
3人の卒業生の講演にはまじめに付き合ったのだが、スライドにぎっしり内容が書き込みすぎている上に、皆さんとても早口でしゃべるのにはついていくのに苦労した。そして今回文字が少しボケて見えることに初めて気が付いた。
この3年間は様々な団体や学界の講演会場でのプレゼンテーションには参加せずにZOOMで参加していたので、コンピューターの画面では目の劣化があまり気にならなかったのである。
実は先日右目に白内症が進行しているのにそろそろ手術を受けたほうがいいのではないかと眼科の女医さんに勧められたばかりなのだが、左目が健在なので、もう少し待ちたいと断ったばかりだった。あらためて現場のスクリーンで白内障の症状が進行していることが確認されたわけである。これは今年の同窓会の最大の収獲であった。
7時から学内レストランで行われた懇親会では旧知と交歓したが、退職しても活躍している後輩が多かったようだ。しかし高齢者になるにつれて体がだいぶ弱っていた。膝がやられていたり、目が相当見えなくなっていたり。。。。
現役の後輩との交流は年齢の差なのかなんとなく避けられて、「高齢のお化けがまだ生きているのか」と思われているようで、少し居心地が悪かった。なにしろ在籍する学部・大学院生やポスドク・留学生とは40歳〜50歳ぐらいの差があるのだから仕方が無かろう。
林浩昭君に指名されて「世界に冠たる植物栄養・肥料学教室、乾杯!!」と大声でわめいて、その後の若い人たちの談論風発を祈念して早々に退散したのであった。
(森敏記)