WINEP

-植物鉄栄養研究会-


NPO法人
19生都営法特第463号
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「お雇い外国人ケルネルと日本人妻に関する明治時代の新聞記事をめぐって」

Date: 2023-03-10 (Fri)

オスカーケルネルは駒場農学校や東大農学部の前身である帝国大学農科大學の農芸化学の最初のお抱え外人教師である。今でも半身の銅像が東大農学部の3号館玄関に設置されている。

最近このケルネル先生に関して、以下の肥料科学研究所の「肥料科学第44号(2022年)」に松永俊朗氏による非常に面白い記事が載っている。

「お雇い外国人ケルネルと日本人妻に関する明治時代の新聞記事をめぐって」

という題目です。

肥料44.indb (hiryokagaku.or.jp)

この興味ある部分を引用する。

:::ケルネル先生は日本で最初の妾(めかけ)を病気で亡くし、2番目の妾として先の妾の妹を娶った。今度は教会で挙式した。その時に妻はケルネルに短刀を渡した。その後女児をもうけた。ケルネルが任期を終えて、ドイツに帰国するときに、ケルネルは妻子をドイツに連れて帰るのを逡巡した。手当の金3千円を渡して妻子を置いて行こうとした。それを聞いた夫人は、挙式の際に捧げた短刀で、殺して去れ、と迫ったところ、博士は驚いて前言を翻して、ともに帰国することになった。::::

東大構内には外人教師の銅像が農学部・工学部・理学部・医学部の各所に建っている。これらの当時のお抱え教師は若くして独身として赴任してきているので、身の回りの世話に女中や妾などを文科省か大学当局かがつけさせたようである。そういう女性がやがて外人教師と入魂(じっこん)になり、結婚したり、今でいう事実婚で、子供をもうけている場合がある。死ぬまで日本に居ついたものもいたが、任期を終えて妻子を連れたり、残したりして帰国している。そこに様々な非喜劇があったことは想像に難くない。

松永氏の文章ではケルネルの場合が詳しく書かれており、マックスフェスカの場合も少し紹介されている。

当時の多くのお抱え教師の人生をたどれば、オペラの「蝶々夫人」のような悲劇も多々あったのではないだろうか。

一方では、ラフカデイオ・ハーンのように、奥さんから寝物語を紡ぎ出して、民話の世界でも著名な小説家になった人物もいる。

ケルネル先生に関しては以下のWINEPブログでも紹介した。

都心に稀有な 『ケルネル田圃』 の由来
http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-2307.html
 
著者の松永さんは確か東大農芸化学科の分析化学研究室の出自で、元農業・食品産業技術総合研究機構に所属していた。