WINEP

-植物鉄栄養研究会-


NPO法人
19生都営法特第463号
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鈴木明夫君を追悼する

Date: 2023-01-18 (Wed)

鈴木明夫(はるお)君が亡くなったというハガキを娘さんから2023年1月14日にいただいた。病名は書かれていなかった。
  
昨年の年賀状では体調が悪いようなことが書かれていたのだが、今年の年賀状が彼から来なかったので、少し気になっていたのだ。彼は確か1941年(昭和16年)生まれで、東大での学年は一年下だったが年齢は小生【森敏】と同じだったはずである。
  
正確を期すために2007年に「東大しょくえいの会」という植物栄養肥料学教室が編集している

東大植物栄養・肥料学の流れ―戦後半世紀の歩みの中で―
 
という同窓会記念誌をめくってみた。そこには、
   
トレーサーと宴会部長
 
というタイトルで、鈴木君の卒論(1968-69:昭和40−41年)と修士課程(1967−69:昭和42−43年)での三井研究室での研究内容と、卒業後チッソ(株)に就職した後の半生が簡単に自己紹介されていた。
  
不遜にも忘れていたのだが、上記の記念誌を読むと、鈴木君は小生が1967年2月に結婚した時に、結婚のお祝いの会を、東大前の「ルオー」という喫茶店の2階で幹事として企画してくれたのだった。また、平田煕助手と青山さん(三井研の卒論生)との学内での結婚祝いを「山上会館」で幹事として企画したと記されている。確かにそんなこともあったなーと、今では記憶が朧気である。
  
三井研では忘年会や新年会や研究室旅行が毎年のごとくあったので、鈴木君は裏方としてスケジュールや旅程の選定に絶妙なマネージャー的な采配を振るってくれた。上記の記念誌のタイトルに「宴会部長」と自分で書いているのはそのためである。
  
気温が30度C以上の真夏の暑い昼の休憩時間には、三井進午教授が「スイカを買っておいで」とカンパしてくれると、鈴木君や同期の大塩君らは率先して農学部前の高崎屋の裏側の八百屋に買い出しに出かけるのだった。(この八百屋ははるか昔にもう店を閉じて今は無いが。)鈴木君は万事気配りの気の利く男だったのである。まったく気の利かない小生とは対照的だったと思う。

三井研に在籍中の鈴木君の顕著な特質は、彼がバドミントン部の主務を務めていただけあって、運動神経が抜群であったことである。ソフトボール大会では右に左に球を器用に打ち分けて必ず出塁していた。バドミントンの羽根の瞬足で鍛えられた彼の動体視力にとって、ソフトボールの球はボールが止まって見えるくらい鈍足に見えたのだろう。
 
また、農学部の近くにあった有料のビリヤード場(すでにはるか昔に亡くなっているが)では鈴木君と渡辺君(三菱化成に就職)は並外れの巧者で、彼らの番にまわってくると、なかなか失敗しないので、順番待ちの者が嫌になるくらいのものであった。

修士課程卒業後、三井先生は肥料会社と絶大なコネを持っていたので、鈴木君には「チッソ」株式会社を紹介した。先輩の卒業生による噂では、当時三井先生の就職先指定命令は絶対で、「君にはここしかないよ」と、指名された就職先は誰も断れないということであった。

ちょうど鈴木君が「チッソ」に入ったころから水俣病闘争が公害闘争の象徴的課題として全国規模で政治問題化してきた。入社早々の鈴木君は「泡を食らっているだろうな」と痛く同情した。鈴木君は政治問題におよそ興味がある人物とは思えなかったからである。小生は厚生省前に水俣の患者と一緒に座り込み闘争をしたことがある。小生にはその後、彼からのチッソ水俣情報は絶えていた。社内では相当右往左往させられたのではないだろうか。
  
上記の手記によれば、鈴木君はチッソの中央研究所に配属されて、緩効性窒素肥料であるCDUの土壌中での分解過程を15N標識CDUを用いた研究で、熊澤喜久雄先生がIAEAから導入した発光分光法を用いた分析法で一定の成果を上げたとのことである。その成果が下記のように土壌肥料学会で数報発表されている。
  
その後住友電工だったと思うが、そこに転職して、砂栽培(溶液栽培)の研究に携わり、アラブ首長国連合かヨルダンだとかに出かけて、砂栽培の温室栽培(石油で温室を冷却する)を伝授して、沙漠のアラブ諸国でも野菜が食べられる努力をしたという話を彼から日本土壌肥料学会大会で聞いたことがある。その技術が現在どの程度アラブ諸国に移転されて広がっているのか小生は詳しくはないが、一定の貢献をしたのではないだろうか。昨年の「FIFAワールドカップ・カタール2022」でも選手村の食堂でモスレムのベジタリアンが野菜サラダをむしゃむしゃ食べている動画が放映されていたと記憶しているので。
 
以下は鈴木君の学会発表論文をgoogle scholarで検索して出てきた題目である。これ以外にも各所で発表していると思われる。
 
 
水稲幼植物根の^< 14> C 化合物の分泌について
鈴木明夫, 熊沢喜久雄, 三井進午 - 日本土壌肥料学雑誌, 1972 - jstage.jst.go.jp
    
10-14 CDU の肥効に関する研究 (第 11 報): CDU の土壌中における分解と無機化について (その 2)
小川勝利, 鈴木明夫, 安原稔, 猪居武 - 日本土壌肥料学会講演要旨集 …, 1970 - jstage.jst.go.jp

10-13 CDU の肥効に関する研究 (第 10 報): CDU の土壌中における分解と無機化について (その 1)
安原稔, 小川勝利, 鈴木明夫, 猪居武 - 日本土壌肥料学会講演要旨集 …, 1970 - jstage.jst.go.jp

10-10 CDU の肥効に関する研究 (第 13 報): CDU の土壌中に於ける分解と無機化について (4)
鈴木明夫, 安原稔 - 日本土壌肥料学会講演要旨集 16, 1970 - jstage.jst.go.jp

10-15 CDU の肥効に関する研究 (第 12 報): CDU の土壌中での分解と無機化について (その 3)
鈴木明夫, 小川勝利, 安原稔, 猪居武 - 日本土壌肥料学会講演要旨集 …, 1970 - jstage.jst.go.jp

土壌中における CDU の分解と無機化について (その 2): 土壌有機態窒素へのとりこみとその再無機化: 緩効性肥料 CDU に関する研究 (第 5 報)
鈴木明夫, 安原稔 - 日本土壌肥料学雑誌, 1971 - jstage.jst.go.jp


合掌
森 敏